北野・山本地区のまちなみの特色は、例えば街道筋のように伝統的建造物が密に建ち並ぶものではなく、洋風住宅と和風住宅が点在し、地区総体として個性的な雰囲気を醸しだしているところにある。そして、明治期以降の各年代の住宅変遷がうかがえることも貴重である。
この地区の阪神・淡路大震災による建物被害は比較的軽微であったことは先にも述べた。異人館についても都市景観形成地域内で7棟が失われたが、これらは大敷地で石垣や生垣に囲まれ、外部からは住宅の屋根が見える程度であったものや、もともと主要道路からは見えにくい場所に建っていたものも多い。このために、異人館だけでなく地区内で震災の被害によって解体撤去された建物敷地は、細部においては震災前との変化が認められるものの、道路から見るまちなみ全般についてはそれほど大きな影響は受けていない。
ところで和風住宅と混在して建てられてきた異人館と呼ばれる洋風住宅は、明治期には外国人が自分達の住宅として建てたものが多く、外壁を下見板張りとし軒と胴に蛇腹をつけたものが一般的である。そしてその後もこの様式を受け継ぎながら、年を経るに従って細部の簡略化や和様式との折衷が進む。外国人の専有様式を広く一般が取り込むようになった結果である。伝建地区指定のための最初の調査報告書である「異人館のあるまち神戸」(昭和51年3月/神戸市教育委員会)においては、これら明治期の外国人住宅の流れをくむ住宅全てを異人館と位置づけ、隣接地区を含む一帯で104棟の存在が確認されていた。
昭和54年の伝健指定にあたっては、●明治・大正・昭和初期のいわゆる異人館など洋風建築の特徴をよく表している建築物、●同時期のすぐれた和風建築物、●同時期の伝統的手法による街燈、さくその他の建築物以外の工作物、を伝統的建造物とし、また●保存地区を特色づけている樹木・石垣・石段等を必要物件と認定すること(北野町山本通伝統的建造物群保存地区保存計画より)とした上で、建築物については建築年代の古いものを中心に洋風建築物28棟と和風建築物8棟が伝統的建造物に認定された。その後、平成2年に洋風1棟の追加と和風1棟の解除、平成11年には洋風5棟の追加が、さらに平成15年には洋風1棟が解除された結果、現在、33棟の洋風建造物と7棟の和風建造物が認定されている。
また地区指定にあたっては、これら伝統的建造物がとりわけ集積している範囲が指定されており、単体では貴重な建造物でも離れた場所にあるものや周囲が不適格な建物で囲まれている場合は伝建地区には含まれていない。
今回の震災による北野・山本地区の建物被害は比較的軽微であったものの、どの建物も大なり小なり罹災しており、とりわけ異人館は煙突の落下や屋根桟瓦の落下・ズレ、軸部や屋根組の損傷、漆喰仕上げの内壁や天井の剥落等の被害がみられた。
修復事業にあたっては、認定建造物に対しては最終的に国63%、県13.5%、市13.5%の補助がなされ、所有者負担は10%に抑えられた。認定外のものに対しては復興基金による助成等がなされたものもあるが認定建造物に対するほど手厚いものではない。この結果、認定建造物は全てがとりあえずは保全されたものの、認定外のものでは都市景観形成地域内だけでも、当地区の典型的なコロニアルスタイルの住宅であったフロインドリーブ邸(明治40年築)をはじめ、奥野邸(明治30年築)、旧ロシアクラブ(明治末〜大正初築)、旧陳邸(大正12年築)、ジャスワル邸(昭和5年築)、ドルゴフ邸(昭和初築)、ジャーマル邸(昭和31年築)の7棟が解体されてしまった。なお、フロインドリーブ邸の解体された部材は神戸市教育委員会によって保管されていたが、その後、民間の手によって移築再建され、公開異人館(北野物語館)として平成13年7月にオープンしたのは幸いである。反対に、伝建地区指定当初からの認定建造物である旧バジャージ邸(大正期築)は、震災によって被害を受けたにもかかわらず修理に対する所有者の同意が得られず、老朽化が激しいことから平成15年3月に認定を解除され、現在も廃屋化した姿を曝けている。
ところで、伝建地区指定以後の北野・山本地区における異人館の滅失状況をみると、先述の「異人館のあるまち神戸」(昭和51年)調査時に、現在の都市景観形成地域内で90棟が確認されており、震災までの概ね20年間に24棟が、また震災に起因して7棟(内1棟は後に移築再建)が取り壊されている。そして、これらは全て伝建認定以外のもので、建築年代が比較的新しいものが多い。この地区のまちなみ保全の意義の一つが、住宅の時代変遷がうかがえるところにあることからすると、伝建認定建造物である建築年代の古いものだけが残され、新しいものが取り壊されていくことは問題である。このような認識もあって、震災後の平成11年9月に大正から昭和初期に建設された5棟が新たに伝建認定されたのであるが、いずれにしろ震災によってこの問題が凝集して顕在化したといえる。
建設年/調査時点 | 1976年 | 1981年 | 1986年 | 1994年 | 1997年 | 2001年 | 2003年 |
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明治 | 26 | 22(18) | 22(18) | 21(18) | 19(18) | 20(18) | 20(18) |
明治〜大正 | 8 | 8(4) | 7(4) | 6(4) | 5(4) | 5(4) | 4(4) |
大正 | 22 | 19(6) | 16(6) | 16(6) | 15(6) | 14(6) | 14(6) |
大正〜昭和 | 2 | 2 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 |
昭和/戦前 | 22 | 19 | 18 | 17(1) | 15(1) | 13(4) | 13(4) |
昭和/戦後 | 10 | 7 | 6 | 5 | 4 | 4 | 4 |
計 | 90 | 77(28) | 71(28) | 71(28) | 59(29) | 57(34) | 56(33) |
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