開催概要
- 日時
- 令和7(2025)年11月30日(日)
- テーマ
- 宗教と景観~多文化共生のまち神戸を歩く〜
- 参加者
- 各都市から13名
- 企画・運営
- 北野・山本地区をまもり・そだてる会、トアロード地区まちづくり協議会、南京町景観形成協議会
はじめに
令和7(2025)年11月30日(日)、「開港5都市景観まちづくり会議2025神戸大会」の2日目は、5つのテーマに分かれたエクスカーションからスタートした。
・分科会1「景観ルールが具現化された街並みを見て歩いて、考える」
・分科会2「宗教と景観~多文化共生のまち神戸を歩く〜」
・分科会3「”あの日”を歩き、”あす”を描く―記憶と景観で考える防災まちづくり―」
・分科会4「『水と酒と癒しの旅路』癒しと文化を結ぶルート 魚崎郷~有馬温泉」
・分科会5「まちとみち」
この日は青空が広がる好天のもと、北野・山本地区をまもり・そだてる会、トアロード地区まちづくり協議会、南京町景観形成協議会のメンバー7名が企画・運営を担当。各都市からの参加者13名とともに、生田神社会館での趣旨説明・講義を経て、神戸・北野エリアの宗教建築や文化スポットをめぐるまち歩きへと繰り出した。
生田神社

生田神社
当日は七五三の参拝客で境内が賑わう中、一行はまず生田神社会館に集合し、趣旨説明と講義からプログラムをスタートさせた。生田神社は神戸の中心部に位置する歴史ある神社で、神戸という都市の原点ともいえる場所。この地からまち歩きがはじまった。
趣旨説明

曹祐仁氏(南京町景観形成協議会)
分科会2のテーマは「宗教と景観~多文化共生のまち神戸を歩く〜」。曹祐仁氏(南京町景観形成協議会)から趣旨説明が行われ、開港以来、異なる宗教・文化がともに根を張りながら形成されてきた神戸の景観を、実際に足を運びながら考えることが分科会の目的として共有された。「北野地区にはわずか2ヘクタールの中に多種多様な宗教施設がいくつもあり、お互いご近所として支えあって共存している。今日は各施設の方からお話を伺いたい。」と曹氏は語った。
国際港都・神戸をめぐって

加藤隆久氏(生田神社名誉宮司)
趣旨説明に続き、加藤隆久氏(生田神社名誉宮司)が「国際港都・神戸をめぐって」と題した講義を行い、生田神社を起点に、神戸開港の歴史や北野エリアに宗教施設が集まってきた背景、トアロードの名前の由来などをわかりやすく紐解いた。

生田神社会館会場の様子
講義では「もともと生田神社を守ってきた44戸が神戸(当初の読み方はカンベ)から発達してきた都市」「食べ物、スポーツから文化まで多くのものが神戸から始まった」といった話から始まり、フランク・ロイド・ライトの研究家・谷川正己氏がシカゴで発見した55枚の写真の中に生田神社が写っており、本殿前にガス灯が確認できたというエピソードまで、神戸の歴史の深さを感じさせる内容が盛りだくさんだった。
日本最古の国営オリーブ園
明治12(1879)年に神戸・北野に造られた、日本最古の国営オリーブ園

宇津誠二氏(インターナショナルオリーブアカデミー神戸)
次の講義では、インターナショナルオリーブアカデミー神戸の宇津誠二氏が「神戸阿利襪園」について解説した。日本の将来を見据えて造られた国営のオリーブ園で、現在の再度筋町一帯の林野を切り開き1,000本を超えるオリーブを栽培。国内での生産・製品化に向けた研究が進められたが、その後民間へと移り、急速な都市化の波の中で存続が困難となり明治41(1908)年に姿を消した。
オリーブ園の歴史

神戸市観光課が発行した冊子「カウベ」
また、オリーブ園の整備経緯と合わせて、居留地・雑居地としての北野・山本地区の歴史も紹介された。昭和12(1937)年に神戸市観光課が発行した冊子「カウベ」の一文を村上恵子氏(トアロード地区まちづくり協議会)が朗読し、当時の風景を生き生きと伝えたところで講義は締めくくられ、参加者たちはいよいよまち歩きへと出発した。
生田の森

生田の森のクスノキ
次に向かったのは、加藤名誉宮司が案内する生田神社境内北側の「生田の森」。この森には樹齢500年のクスノキがそびえ立つほか、神功皇后が三韓渡航の際の食にまつわる故事を起源とする「かまぼこの発祥地の碑」や、料理人たちの庖丁への感謝と食文化の発展を祈念して建立された「包丁塚」など、歴史と文化が刻まれたスポットが点在している。加藤名誉宮司は「夏でもこの森に入ると体感で2〜3度低く感じる」と話し、都市の中心にありながら豊かな自然が息づく森の魅力を伝えた。
トアロード・国営神戸オリーブ園跡・神戸北野ホテル
神戸北野ホテルは日本で初めての都市型オーベルジュとして平成12(2000)年に開業

神戸北野ホテル外観
若山理蘭氏(北野・山本地区をまもり・そだてる会)の案内でトアロードを北上し、神戸北野ホテル前へ。宇津誠二氏から国営オリーブ園についての解説が改めて行われた。
神戸北野ホテルはオリーブ園跡地に建つ旧ホテルを引き継ぎ、フランス料理人・山口浩氏により日本初の都市型オーベルジュとして平成12(2000)年に開業。15周年の平成27(2015)年には前庭へのオリーブ植樹と記念モニュメントの設置が行われた。宇津氏は、現在の街並みからは想像しにくいが、かつてこの地にオリーブ畑が広がっていたことを思い描いてほしいと参加者に呼びかけた。
神戸ムスリムモスク
昭和10(1935)年、神戸在住のトルコ人、タタール人、インド人貿易商らの出資により建てられた日本で最初のモスク

神戸ムスリムモスク外観
次の目的地は神戸ムスリムモスク。女性参加者は頭を覆う布を巻いて入場の準備を整えた。案内役はナズィール・アーメッド・シディキ氏と藤谷勇介氏。このモスクは、第一次世界大戦をきっかけに神戸へ移り住むムスリムが増加したことを背景に、昭和10(1935)年、神戸在住のトルコ人・タタール人・インド人の貿易商たちが資金を出し合って建設した、日本初のモスクだ。

ナズィール・アーメッド・シディキ氏
玉ねぎ形の大きなドームと、三日月を冠した4基の尖塔(ミナレット)が印象的な鉄筋コンクリート造り3階建て。設計はチェコ出身の建築家スワガー、施工は竹中工務店が担った。神戸大空襲も阪神・淡路大震災も乗り越えてきた堅牢な建物で、アーメッド氏によれば「阪神・淡路大震災の際には避難所としてイスラム教徒以外の方も受け入れた」という。
礼拝堂内部

内部礼拝堂の様子。
内部には2階に女性専用の礼拝室が設けられ、1〜3階全体に祈りの声が響くよう吹き抜け構造になっている。1階中央にはメッカの方角を示す壁のくぼみ(ミフラーブ)と、イマームが説教を行うミンバル(説教壇)が並び、礼拝の時刻も掲示されていた。

藤谷勇介氏(祭壇中央)
藤谷氏は兵庫県宝塚市出身。看護学を学ぶ中で生命の神秘に触れたことをきっかけにイスラム教に入信し、サウジアラビア王立大学シャリーア法学部で6年間修学。令和6(2024)年、このモスク初の日本人イマーム(指導者)として神戸に戻ってきた。「狭い地域で平和共存しているところは世界でも珍しい。お互いを知ること、何かあれば話し合うことが大切」と藤谷氏は語った。

昼食の様子
見学後は、モスクに隣接する「イスラム文化センター」にてハラルメニューの昼食を全員でいただいた。食にまつわる話題を中心に、各地からの参加者の間で自然と会話が広がった。アーメッド氏は「北野では、隣のキリスト教会、寺院、ユダヤ教会とも『ご近所』として日頃から付き合いがある」と話し、藤谷氏も「イスラム教への理解を広げるため、学校や行政に出向いて話す機会も多い」と活動の一端を紹介した。
関西ユダヤ教会シナゴーグ【外観見学】
昭和 45(1970) 年に再建された「関西ユダヤ教会シナゴーグ」

関西ユダヤ教会シナゴーグ外観
昼食後、細い路地を抜けて向かったのは「関西ユダヤ教会シナゴーグ」。シナゴーグとはユダヤ教の礼拝堂のことで、国内では神戸や東京などに存在するが、なかでもこの関西ユダヤ教団シナゴーグは昭和45(1970)年に再建された日本現存最古のものだ。白を基調とした2階建ての外観には、アーチ型の装飾が施されたファサードと、ユダヤ教のシンボルであるダビデの星(六芒星)が配されている。
バグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院(ジャイナ教寺院)

バグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院外観
続いて訪れたのは、国内唯一のジャイナ教寺院。ジャイナ教は西インドのグジャラート州を中心に信仰される宗教で、厳格な菜食主義と不殺生の精神で知られる。建物は純白の大理石造りで、動植物をモチーフにした繊細な彫刻が随所に施されている。

バグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院内部
神戸ユダヤ共同体(神戸ジューコム)跡地
昭和12(1937)年、ユダヤ人アナトール・ポネヴェスキーによって、「神戸ユダヤ共同体」が現在の神戸電子専門学校南館の当地につくられた。

福岡賢二氏
かつて神戸には日本最大のユダヤ人組織が存在したが、昭和20(1945)年の神戸大空襲で建物は焼失。隣接する石垣だけが往時の面影を伝える。学園常務理事の福岡賢二氏は、この石垣に注目したきっかけが平成30(2018)年に杉原千畝の母校から受けた一本の電話だったと語った。昭和15(1940)年、リトアニアからの救援要請を受けた神戸ユダヤ共同体は難民受け入れを決定し、ニューヨークのジョイントへ支援を打電。「ユダヤ人を救え。お金は問題ではない」との返信を受け、神戸は難民救済の拠点となった。

神戸ユダヤ共同体(神戸ジューコム)跡地の擁壁
一方リトアニアでは、杉原千畝領事代理が発給した「命のビザ」と他の領事館のビザを手に、4,500人超のユダヤ難民がシベリア鉄道・ウラジオストック・福井県敦賀を経て神戸へたどり着いた。神戸ユダヤ共同体は住居・食料・衣服の提供から出国手続きの相談まで全力で支援し、神戸市民も温かく難民を迎え入れた。福岡氏は「母国で家畜以下の扱いを受けていた彼らにとって、忘れ難い温かい思い出として記憶されたと思う」と語った。
神戸ハリストス正教会(神戸聖母就寝聖堂・ロシア教会)
神戸ハリストス正教会は日本正教会に属し、大正2(1913)年の創建以来、平野祇園町に会堂を構えていたが昭和20(1945)年の戦災により焼失した。その後、チョコレートの名で広く知られるヴァレンティン・F・モロゾフ氏らが中心となって再建に尽力し、昭和27(1952)年に現在の建物が完成した。

神戸ハリストス正教会 神戸聖母就寝聖堂外観
案内はワシリィ杉村太郎司祭が担った。今も住宅街の一角に静かに立つ白い外壁と青いドーム(キューポラ)、八端十字架が印象的な佇まいで、聖堂内正面にはイコン(聖画像)で覆われたイコノスタシス(聖障壁)が設けられている。

聖堂内部の様子
神戸北野美術館
神戸北野美術館は北野通りに面する石垣上に明治31(1898)年にドイツ人の住居として建設された異人館。

神戸北野美術館外観
館長の竹中愛美子氏が案内を務めた。戦後はアメリカ領事館官舎として昭和53(1978)年まで使われ、その後は公開異人館「ホワイトハウス」として一般公開。平成8(1996)年11月に神戸北野美術館として開館し、令和2(2020)年から4年間の耐震改修工事を経て令和6(2024)年にリニューアルオープンを果たした。

美術館内部の様子
神戸市出身で関西圏を中心に活躍する若手アーティストの作品や、友好交流を結ぶパリ・モンマルトルの画家たちの絵画、神戸阿利襪園にまつわる資料の展示のほか、オリジナルグッズの販売も行っている。
中華民国留日神戸華僑総会

江丕正氏(中華民国留日神戸華僑総会副会長)
この建物を案内してくださったのは、中華民国留日神戸華僑総会副会長の江丕正氏。華僑としての神戸との深いつながりを持つ江氏が、建物の歴史や見どころを丁寧に紹介した。

「三太子」
屋内に足を踏み入れると、まず目を引くのが台湾で親しまれる子どもの守り神「三太子」の像だ。「神戸まつりでは毎年、この三太子の被り物を被ってパレードに参加している」と江氏は笑顔で語り、地域の祭りとのつながりを教えてくれた。

中華民国留日神戸華僑総会建物外観
華僑総会が現在も活動拠点として使用するこの洋館は、明治42(1909)年頃に建てられたもので、戦前はゲンセン氏というドイツ人が個人宅として長く暮らしていた。A.N.ハンセル(推定)の設計によるコロニアルスタイルの建築で、外壁の下見板張りやベイウィンドー、煉瓦の煙突、ベランダなどが当時の風情を漂わせる。かつてのベランダは室内に取り込まれており、その名残として屋内側の窓に鎧戸が設けられている。
まとめ
ディスカッション「多様な宗教・文化が共生するまちの景観を未来につなげるには? 一開港都市の”魅力づくり”の新たな視点―」
まち歩きを締めくくった後、参加者全員によるディスカッションへ。神戸が育んできた宗教的・文化的多様性を「景観資産」として見直し、次世代への継承と活用のあり方について各都市の代表が活発に意見を交わした。異なる信仰と文化が穏やかに共存する神戸の姿がまちづくりのモデルたり得るという共通認識のもと、各地域での実践に向けた具体的な議論が展開された。

ディスカッションの様子
会場を華僑総会の2階に移し、3つのグループに分かれてディスカッションを実施。「今日一日を通して感じたこと」と「今後チャレンジしたいこと」をそれぞれが書き出しながら、一日の学びを振り返った。

浅木隆子氏(北野・山本地区をまもり、そだてる会)
締めくくりに浅木隆子氏(北野・山本地区をまもり、そだてる会)が「多様な文化に触れられることこそ開港都市の魅力。それぞれの宗教を尊重しながらご近所として付き合い、異文化への理解を深めることが平和につながる」と言葉を添え、分科会は幕を閉じた。